本当は優しく、そして私の事を愛していた


清美と芳江の愛情お粥

 私はその悪夢のような三日間をなんとか生き延びた。

 しかしそれからも悪霊らの翻弄は昼夜を問わず延々と続いていった。常に誰かしらの声は私の左耳にへばりつき、語りかけてきたのである。それでも実際の「音」が聞こえなくなった訳ではない。左耳の聴力は医学的に言えば高音域の周波数帯域が極端にさがり、つまりこもった音で聞こえて左右の音のバランスが取れず、うまく音のバランス調整が出来ない。レコーディング現場において音像定位が決められないという、つまりミックスバランスが取れず、プロのサウンド・エンジニアとしては失格という事である。

—-これでもう私はプロの現場にはいられないのか、仕事も失ってしまうのか—-

  と、覚悟を決めた。

 悪霊らに邪魔されつつもそれでも何とか仕事はこなしていった。ある時は、頭はもうろうとしてミキサー卓の前で固まったまま動けず、またある時はその妖怪の子供らの歌う可愛いらしいわらべ唄に、うかつにもうっとりと聞き惚れ(その歌詞の内容は恐ろしいがメロディーと歌声は美しい)おかげで激しい吐き気と頭痛、さらにはこの年齢で急に鼻血が吹き出し、目の前の機材が血だらけになったりとひどい状態が続いた。

 そのように日々のスタジオ業務を ごまかしながらこなし、夕食を作る時などは、

「恨めしゆう~ございます~」

 とか言いながらも、なぜか私の健康を気遣い、清美と芳江は事細かく食事の塩分制限をしてきたのである。

 清美と芳江はそれこそ私を恨んで自殺したそうだが、実はどちらも私の事を死んでも愛していた、という事である。

——————-女ごころとはなんと不可解なのであろうか・・・——————

「あなた、ご主人様は塩分取りすぎなので~ございます~これからは私たちがご主人様の健康管理をしていくので~ございます~ご主人様は~私たちの言う事に従っていれば良いので~ございます~」

 それはこういう事である。全ての食事はまず一度清美と芳江が味見をする。 

 そしてOKが出るまで私が塩分の調整をしていく、という事だ。

 さらには食材も常に清美と芳江が決める、という事である。早速今夜の食材が決められた。

 材料は「白身魚」それをお茶碗一杯分のご飯で煮込み、味付けは塩のみ。つまり「お粥」である。これを私は「清美粥」と名付けた。その味付けもなかなか厳しかった。ついついいつもの調子で「塩だけ」と言われても当然小さじ一杯程度は入れてしまう。ともかくそれでは塩分控えめにはならない。

 その味見も、出来上がったそのお粥をほんの少しだけ小皿によそい、その上になぜかお線香を六本横にして乗せる、という具合に。それで霊界の方々は味がわかるそうだ。

 早速お粥を少しよそい、お線香を六本乗せて清美と芳江に味見をして頂くと、

「まだまだ塩分多すぎなので~ございます~」

 と叱られてしまった。

 さらに薄めて、

「これでもダメなのでしょうか?」とうかがっても、

「まだまだ塩分が濃いので~ございます~」

 と叱られてしまう。

「だったらどれくらいなら良いのでしょうか?」

 とうかがうと、お茶碗一杯に対して塩はほんのひとつまみだそうだ。しかしその味は絶妙で、それだけでもたしかに白身魚のだしが十分に生かされ、シンプルではあるが私はそのお粥がとても気に入ってしまった。

 最近のある料理番組で知ったのだが、本当に和食のプロの味付けはこの通りであった。

 おかげで精神とは逆に体調はとても良くなっていった。怨霊とはいえ、清美と芳江には感謝である。皆さんも是非この「清美粥」ご賞味あれ。

 冗談はさておき、それ以来私は外食をひかえ自炊する生活に変わっていった。本来料理好きという一面もあったが、ますます素材に興味を持ち、清美と芳江という怨霊に好意さえ感じていた。

 

 そして知らず知らずのうちに自分の行動も思考も性格さえも悪霊、怨霊、妖怪それら霊界の存在に引きつけられ完全に一体化していったのである。