呪いの儀式からの脱出


「なんだ?このピコピコと光る物体は・・・」

 それは当時の携帯電話であった。最初はわからなかったが、徐々にそれが外界の人と会話する事のできる道具であること思い出した。

「そうか、これを使えば私はもしかしたら助かるかもしれない・・・」

 私は一分の望みをかけ、今届いた東倉さんのメールを頼りに何とか使い方を思い出し、こちらから電話をかけてみた。

「はいもしもし、あ、前田さん?大丈夫?何日も連絡がないから心配してメールしてみたけど、何かあったの?」

 その電話の相手は日蓮正宗の東倉さんであり、私を嘘か学会から脱会させて救い出してくれた命の恩人である。

 私はもうフラフラの状態で「もしもし、僕はもうだめかもしれない・・・」と話すと「すぐに本部に来るように」と促してくれた。

 東倉さんは唯一、世間がその組織力に恐れおののく「カルト教団組織、嘘か学会」に真っ向から言論をもって挑む「日蓮正宗」に所属する人である。

 私はその言葉を信じ、その本部がある西荻窪駅に向かった。

 私はいつもであれば車で移動するのだが、悪霊の、

「車に乗って逃げようとしても無駄なのでございます~すぐにトラックに激突されて即死するので~ございます~」

 という言葉をまともに信じ、トレーナー姿のまま、電車に乗って何とか西荻窪の本部までたどり着いた。東倉さんは私のただならない青ざめた様子を見るとこれはただ事ではないと察し、本部にある御本尊の元へ連れて行った。

「本尊」とは全ての宗教において根本尊崇として具体的に現した礼拝の「対象」の事である。日蓮正宗においては、本尊は真実の仏教たる法華経の真髄を書写した曼荼羅本尊を用いている。

 その御本尊を見た途端、私に憑いて一緒に来たであろう悪霊たちはギャンギャンと騒ぎ出し、

「その本尊は見るなー!ギャーッ!キモチが悪いーっ!ヤメローッ!」

 と騒ぎ出した。東倉さんには当然聞こえてはいないだろうが、私の耳にはその悪霊たちの声が部屋中に鳴り響いていた。

 「そうか、悪霊たちはこの御本尊には手も足も出ないのか!」そう確信した私は東倉さんと共にさらにその御本尊の前で力強く題目を唱えた。しばらくすると、あれほどやつれ、疲れ切っていた事がうその様に晴れやかになってきた。

 私が正気を取り戻した事もあり東倉さんは西荻窪駅近くにある中華料理店に食事に誘ってくれた。考えてみれば十七日から三日間何も口にしていない。水も飲んでいない、さらにはトイレにも一度も行っていない。しかし体調は何ともなく、お腹も空いていなかった。

 それでもせっかく誘ってくれたのだからと、西荻窪駅近くの中華料理店に入った。考えてみれば三日ぶりの食事の機会となったのだが、食欲もないまま、一応お義理程度の注文をした。そしてにコップの水を出された。とりあえず口でも付けてみるか、と思った途端、急に喉が渇きだした。飲んでも飲んでも止まらない・・・あっという間に目の前にあったピッチャーの水を一気に全て飲み干してしまった。

 多分このままだったら私は気付かないうちに完全に脱水症状か栄養失調、あるいは腎不全となって死んでいたに間違いない。そんな私の妙な行動を見て東倉さんは私の所に一泊して様子を見てくれる事となった。そして二人で帰路につく事にした。

 深夜だったため、西荻窪駅前でタクシーをひろった。最初のうちは気さくな運転手さんと世間話で車中もなごやかに会話もはずんだ。ところが後方からまたあの前世の自殺した恋人「清美」が追いかけてきたのである。

「お忘れですか~清美でございます~恨めしゅうございます~」と。

 私はまた怖くなり「早くいって早くいって!運転手さん!清美が追いかけてくるんですよー!」と運転手に催促した。東倉さんにも「清美が追いかけてくるんですよ、前世で自殺した清美が!今私を恨んで後ろから追いかけて来ているんですよ、早く行かないと追いつかれてしまう!」

 私には確かに後方から清美が追いついては離れ、また追いついては離れしていく状態がその声の遠近感を通してはっきりとわかった。

 普通であれば私は精神錯乱状態、という事で、

「前田さん、今度病院でちょっと見てもらいましょう」

と、精神病院行きとなってもおかしくない。しかし、

「そうか そうか、」

 と東倉さんは何かを悟ったように御経、唱題を始めた。

 私も震えながら一緒になって小声でお題目を唱えた。

「清美、清美、どうかどうか成仏してください・・・ブツブツ、ブツブツ」

 その様子に気さくな運転手さんもさすがにかたまり、私の家に到着するや否や、お釣りも渡さず「サイナラ~」とばかりに無言で走り去っていった。

 すでに深夜二時を過ぎていた。東倉さんも「もう就寝しましょう」と、とりあえず共に寝る事にした。

東倉さん「前田さん、では僕はとなりの部屋で寝ますね」

私「いえ、お願いします、私の部屋で一緒に寝て下さい」

東倉さん「そんな~やだなぁ~寝込みをおそわないでくださいよ~前田さ~ん」

私「無言・・・・」

—————-当時の私の様子を東倉氏はこう証言している——————

「そんなジョークも通じない反応にそうとう「キテるな」と思いました。最初のうちは部屋中何かザワザワしていましたが、読経、唱題を始めるとそのザワつきがおさまり、いつの間にか前田さんはスースーと寝息を立てていました」

 このようにして、私は東倉さんのお題目のおかげでようやく三日ぶりに悪霊の呪いの儀式から解放されたのである。

 通常であればここで「めでたしめでたし」とハッピーエンドとなるところなのだが、これからが本番である。

 私は悪霊らに、更にスタジオ業務の倒産の危機にまで追い詰められ、そして更に本当の多重人格障害/ノイローゼ状態となっていったのである。

 そのおかげで不眠症から脈拍異常となり、オムロンの血圧計を「これが壊れたら私は死ぬ」と思い込み常に二つ両手にはめ、心身ともに着実に蝕まわれていったのである。

————–さらに危うく犯罪者となる一歩手前までいってしまった————-

———————-当時の私の事を、その頃よく通っていた小料理屋のおかみさんはこう証言している———————————————————–

「あの時の前田さんの様子は確かに異常者でした。

 本当に何かに憑依されているように見えましたね。そして誰もいないのにブツブツと空間に向かって話しかけてもいましたよ。

  その上なぜか腕には血圧計を二つ付け、いつも(脈拍は大丈夫か?)と気にしていた様子でした。」と。