
⚫︎亡くなった兄の頼み事。
「あなたの死んだ兄です、私のお願いを一つだけでよいのです。かなえて下さい」
以前、母から聞いていた話だが、私には死産で生まれてきた兄がいた、という事をすぐに思い出した。母に聞くとそのお骨は多磨霊園の「みたま堂」というドーム型の収蔵施設に埋葬されている、との事だった。その兄の話では、回りには知り合いもなく、簡素なロッカー式の所で一人寂しく過ごしている、との事だった。確かに他のご先祖様のお骨もなく、兄一体の骨だけであった。
その事を母に相談すると、それもそうだという事となり、早速書類を揃えて兄のお骨を引き取り、御宝前の横に安置した。
現在は母も他界したので、もう寂しくないだろうと母のお骨と一緒に富士山近くにお墓を買い、入ってもらっている。
⚫︎私が幼かった頃、よく面倒を見てくれていた画家 梅村亀之助さんの霊の頼み事。
私が昔幼稚園に入る以前、三~四歳の頃、母子家庭だった私の事を心配していつも親身になって可愛がってくれていた絵描きのおじさんがいた。もう亡くなって五十年ほどになるが、数年の間は祥月命日にはなぜか朝まで眠れず、また何年たっても、なぜか命日には同様に一睡もできなかった。なのでその人の命日は今でもはっきりと覚えている。
多分、子供もいなかった事もあり、私の事を一番気がかりに思ってくれていたのであろう。
そのおじさんの霊と話しているうち、少しずつ幼少期の事を思い出してきた。その画風は日本画の、それも大作で何年もかけて仕上げるという絵画を得意とし、画材も岩絵の具、にかわ、金箔、乳鉢、木炭などを使う、とても難しい描きかたであったように思う。よく画材を買いに御徒町の画材屋さんに一緒に行き、その帰りに上野動物園に連れていってもらうというのが恒例であった。
そのおじさんの願いとは、その同じ店に行って使っていたのと同じ絵の具を買い、自分の肖像画を描き、それを長年一緒に連れ添ってきた内縁のおばさんに届けてほしい、という内容だった。
そして実際に御徒町の仲町通りの画材店に行ってみると現在でも営業していた。そこは「喜屋」という有名な画材屋さんで、開業は確かに六十年以上前との事。場所も同じで今では自社ビルに立て替えられているが、当時は小さな一間ほどの間口だった。しゃがんで画材を眺めていると当時私が幼かった時の事が確かに思い起こされてきた。
今では仲町通りといえば繁華で国際色豊かな飲食街であるが、当時は「喜屋」ともう一軒画材屋さんがあり、それと今でもあるが、漢方の薬屋さんの三軒がぽつぽつと立ち並ぶ、現在では想像もつかないほど風情のある通りだった。
そこから夕陽の中に山手線の電車が見え、それがとても印象的だった事を思い出した。
早速お告げ通りにデッサン用の木炭、岩絵の具、金箔、にかわ、筆等を買い揃え、早速作品製作に取りかかった。しかし私には画才はまったくないので、なんとか本人の写真をもとに描き上げた。まだ存命中のおばさんも、もう百歳に近いので、間に合うようにとの思いで急いで仕上げた。
その作品を渡すと思いのほか喜んでくれて、これが唯一の思い出になると大切にしてくれた。その後もその絵は最後までおばさんの面倒を見てくれていた方が譲り受け、今でも大切にその家に飾られている。
⚫取引先社長の奥方のご先祖様がメッセージを伝えに。
ある取引先社長は企業向けビデオのナレーション収録が終わると必ずナレーター、私、その社長の三人で飲み会に行くのが通例となっていた。
ある時、居酒屋でいつも通りにああでもない、こうでもないとどうでもいい話しながら飲んでいると、社長の肩のあたりからしきりに私に何度も訴えかけてくる霊がいた。
飲み会の話はそっちのけで集中して聞いてみると、その霊はその社長の奥さんのご先祖様で、その霊いわく、その社長に「家内が家で悲しんでいるとお伝え下さい」と伝えてほしい、という事だった。
私は迷ったが、あまりに気になるので社長に、
「なにか奥さんのご先祖様がここにいらして、しきりに奥さんが家で悲しんでいると伝えてくれと言うので、一応伝えましたよ」と話すと、なぜか急に酔いも醒めた様子で立ち上がり「家に帰る」と言い残して帰っていってしまった。
後からその理由を聞いたが、それはこういう事だった。
その社長はいつも仕事が終わった後、奥さんに「みんなでこれから飲みに行くから帰りは遅くなる」と言って朝帰りをしていたそうだ。しかし実際には途中で一人退席し、そのまま愛人の所に行っていたそうだ。つまりその事を奥さんのご先祖様はお見通しで娘が気がかりで仕方がなく、何とか私を通じて伝えたい、という事であった。私とご先祖様の霊がその浮気癖をやめさせた、という事である。(めでたし!めでたし!/ご先祖様は全てお見通しなので~ございます~)
⚫静岡県富士宮市のお寺の御僧侶、門前 大原さんと朝までテレパシーで会話。
「門前 前田様、門前 前田様、私は門前 大原と申します~お寺で修行をしている者でございます。今は境内の掃除をしております〜」
今度はお寺に出家された門前 大原さんと名乗る人からテレパシーでメッセージがきた。
その内容とは、実はその寺では修行の末、御僧侶方皆が念、つまりテレパシーで会話が出来るようになったそうだ。言わばその超能力を得た人類を「門前〇〇さん」と互いに呼ぶそうだ。しかし人目には気付かれないように普通に会話している、との事であった。
なぜ「門前」というかと言えば、生きているうちに(死という門をくぐる前に)霊界の能力を備えた人、という意味でそう呼ぶのだそうだ。そしていつか在家の私のような一般人の中でもいずれ同じ能力を備える人が現れてくる事を願って何百年も日々修行に明け暮れていた、との事であった。
そのなかで遂に私のような念の通力で会話が出来る人が現れ、やっとその願いが叶った、という事であった。
私も必死になって、
「門前・前田と申します!現在は東京、世田谷区に住んでおります!来月そちらに必ずご挨拶にうかがいます!」と必死になってメッセージを送り、その後実際にお寺に行った。
会う御僧侶、会う御僧侶ごとに必死になって目を見つめ、心の中で、
「世田谷の門前 前田でございます!門前 前田でございます!あなた様は門前 大原様でございましょうか?ご無沙汰しております。只今ご挨拶にうかがいました!」
と、ニコニコ観念しながらうったえかけていった。
(多分、また妙なモノにでも取り憑かれたヤツがやってきたか・・・)と苦笑されていたに違いない)
御寺の御僧侶の皆様、その節は大変ご迷惑をお掛け致しました・・・
と、こんな悪霊や霊魂のお願い話を上げていたらきりがないが、毎日一晩中メモを取りながら真剣にその願いを聞いていたのである。