
しかしそんな私の訳のわからない宗教を立ち上げ、妙な修行に励んだり、悪霊に取り憑かれて徐々におかしくなっていく私の姿に、日蓮正宗の東倉さんは危機感をいだき、
「それらの悪霊から逃れるには朝に晩に必ず読経、唱題(勤行)を実践するしかない」とアドバイスをくれた。
だが正直いってその反面、私の身に四六時中常に寄り添い、一切のいつわりなく語りかけてくるそれらの霊魂の存在や宗徳菩薩様には依存性すらいだき、ある種、何を考えているのかわからない裏腹な思考を持つ人間らよりもよっぽど信用出来る存在なのではないか、という気持ちさえ湧いてきたのである。
しかしそんな事ではいけない・・・何とかこの悪霊らから逃れられる事を願い、そのアドバイス通り、私は必死になって朝夕の勤行を実践していった。
ある日、仕事を終えて東倉さんに言われた通り、夕の勤行を終えてしばらくした頃、またどこからか妖怪らしきだみ声が聞こえてきた。
『妖怪ほうじゅこんで~ございます~オマエの読経の声は気持ちが悪いので~ございます~』
「妖怪ほうじゅこん?で、どんな漢字を書くの?」
『“「ほう」とは宝、「じゅ」とは数珠の珠、「こん」とはうらみの恨と書くので~ございます~、つまり宝珠を恨む、妖怪宝珠恨と~申します~』
- 【宝珠】とは妙法の事であり、それによって仏の当体を開こうとする人を恨み、邪魔をしようとする働きの悪鬼であると解釈できる。
「で、あんたの目的は なに?」
『オマエの読経が気持ち悪いので~ございます~よってオマエの声にこれから呪縛の呪いをかけるので~ございます~』
「なんじゃそりゃ・・・」
と思った瞬間、それ以降私の読経、唱題の声がどう唱えようが「オ・マ・エ・は死ぬ!/オーマエ・は死ぬ!/オ・マ・エーは死ぬ!」というワードになってしまうのである。それもあの悪霊のダミ声で・・・私は本当に自分で自分の声が恐ろしくなり、どう工夫して読経しても、その読経の言葉が御経のアクセント通りに「オー・マエは死ぬ/オ・マ・エーは死ぬ/オ・マエーは死ぬ!/オマエーは死ぬ!」という言葉に変わり、私の声として発せられてしまうのである。
——実際に録音して聞いてみたわけではないので何とも証明出来ないが—–
おかげで私は本当に恐ろしくなり、読経、唱題を声に出して唱えられなくなってしまった。
つまり、まんまと妖怪宝珠魂の声帯呪縛にかかってしまったのである。しかしそれでも心中で勤行を行っていった。
そんな毎日の中、スタジオのアルバイトに来ていた北原君が、
「それでも十分スタジオ内が浄化されてますよ、妖気も漂ってきませんし、頑張って下さい!」と励ましてくれたのである。
北原君は私にとって唯一霊感を持つ、私の状況をよく理解してくれているサウンドエンジニアであった。
そんな状態で朝夕の読経を心中で続けていたが、数日経ったある日私もこれではさすがにマズいと思い、ためしに思い切り強く念じ、読経を腹の底から声を絞り出すようなつもりで大きく発声してみた。
つまり音響学的にこの発声法を表現すれば、倍音成分の非常に多い、いわゆる「響きと明瞭度のある、通った声」という事である。これはよく仏教寺院の御僧侶方の読経の声に聞かれる発声法に似た声である。
するとどうであろうか、またあの西荻窪の本部で聞いたような悪霊たちの『ギャーッ!ギャーッ!』と騒ぎ出す声が部屋中に響き渡ったのである。
『ヤッメッロッ!ヤッメッロッ!オマエの声は気持ち悪いんだよッ!ヤッメッロッ!ヤッメッロッ!』
———————————-そこで私は確信した———————————————
「そうか!この悪霊たちはあの本部の御本尊と同様、この声の御経には太刀打ち出来ない、それどころか苦しくて苦しくて仕方がないのか!」という事を。
さらに読経の音程を上げてみたり倍音成分を加えてみたりと発生の調整をくり返してみた。するとさらに私に憑依している怨霊たちの声は徐々に後ずさりし出した。
『ヤッメッロッ!ヤッメッロッ! オマエの声は気持ち悪いんだよッ!
ヤッメッロッ!ヤッメッロッ!』
と騒ぎながら・・・