はじめに 決して魔を見くびってはならず


 平安の時代、和歌にも詠われたという 人の心に宿るという怨霊・・・

 また、千年妖怪、妖怪七変化、宝珠魂、怨妙心と名乗る中国に古くより伝わる妖怪、そして私を怨むという死霊・・・

 それら悪鬼、魔人、悪霊の知恵は非常に長けており、私も何度騙されても「今度こそ本当の話に間違いない!」と、延々と騙され続けていた。

 さらにそれらの魔を自在にあやつり、人々を苦しめるという第六天の魔王・・・

 それは「他化自在天」と仏教典には説かれており、実際にその名の通り人に取り憑き自在に操り、悩み苦しみを与え、それを娯楽とするという悪霊の王。

 この世の中も仏経典によれば、現在はその魔の所領であると説かれている。


今でも聞くヤツらに騙され、自殺した人の話

 昔、ある俳優が『おやじが「涅槃で待ってる」と言っている・・・』と言いながら、飛び降り自殺をした事件があった。

 また、『私の身に観音様が宿った!』といって宗教団体を立ち上げ、不幸にもその後、その本人も自殺してしまったという事件があった。

 世の中のたった一つに真実の仏法を除き、その他の全ての宗教はその組織の大小を問わず金儲け目的の神仏商法、或いは名誉欲に溺れた不幸の根源となる邪宗教である。

 それこそ、謳い文句には「幸福の・・・/厄払いなら・・山/交通安全祈願、商売繁盛は・・神社」等々、上げたらキリがない。

 しかしその主な特徴としては、

  • 様々なメディアを使って宣伝する。
  • 賽銭箱がある。
  • 大小様々な神札や御守りが、その大きさ順に価格を付け販売されている。
  • あたかもご利益が有るがごとく神主が祝詞を上げ、車などの物品に祈祷を行う。

等が挙げられる。

 そんなところに、人々が幸せな人生を送れるようになる因縁も道理も筋道もない。私の友人も良かれと思って愛車を「・・山」に祈願してもらった帰りに交通事故を起こし、株が値上がりするようにと、ある有名な「・草・・寺」で祈祷してもらった途端、大暴落したそうだ。また隣人は「・木神社」で病魔退散のお祓いをしてもらったその年に癌にかかってしまった。

 私の親友は視力障害を治そうと「・・教・光」という名称に惹かれ入会した途端、奇怪な教えに従い、それが元で完全に失明してしまった。

 その後もなんとか目が見えるようになればとの思いで「どんな悪しき因縁も断ち切り、どんな病も治す」という謳い文句に魅せられ「・山ねずみのみこと」という宗教団体に多額のお布施を払い、祈祷してもらったそうだ。しかし全く良くならず、そのなんの利益もない事に疑問を感じ、横浜の本部を訪ねると、対応してきたのは、なんと地元の「反社会的組織」の方々であり、その失明した障害者はさんざんに罵倒され、追い出されてしまった。

 そのような、「病魔退散」だのと何の根拠もなく破綻した教義を立て、「信じる人は救われる」などと、あたかも「家庭・世界平和云々」というごく当たり前な表看板を掲げ、いかにも正しいと思わせる宗教団体があまりに多い。

 そこに良かれと思って関わってしまえば、この一例のように逆に災難を引き起こしたり、高額の祈祷料を払わさられたり、挙げ句の果てには悪霊に取り憑かれ、自殺を繰り返したり、生活破綻の末一家離散と、それこそ幸福どころか不幸な人生を送る事になってしまうのである。

 

 そして更にはなぜか信仰心の厚い人が自殺したり、犯罪を犯すという事件が後を絶たない・・・それは一体なぜであろうか?

 世の中、このような話は数多くある。身近にも過去に実際そうであったという人がいる。かく言う私もその一人であった。

 それらは巧みに悪鬼が人間の心に憑依し、言葉巧みに翻弄させ、本人どころかそれに関わった人も共に不幸におとしいれようとする「魔」の巧妙なたくらみである。

 それらを解決せんと、ここに世の中に潜む諸悪の根源を断定し、この私の体験した数々の現象を元に、ある仮説を立てる。そしてそれを裏付ける仏教典による分析、数々の証言、そして検証を加え、ここに広く世間に問いかけるものである。 

 どうかこの「ヤツラ」に騙されないためにも是非、私の「ヤツらに騙され自殺しそこなった奇話」の数々を聞いてほしい。

 更に巻末ではその様な不幸の根源を断ち切り、幸福な人生へと転換するための唯一の方途をご紹介する。

 邪な宗教にはけっして関わってはならない。しかし真の仏教たる宗教を根本とするならば、今後いかなる悪霊の祟りによる不幸、不慮の災難、経済苦、それこそ重篤な病や、精神的疾患をも克服する事が出来るのである。

 宗教は大切である。そしてその選択も大事である。

 是非、皆さんにも唯一正しい宗教を学び実践されて、私達と共々に何ものにもふんどうされない幸福境涯をつかんで頂きたいと切に願うものである。